私が開院した理由
サッカーに明け暮れる日々
幼いころから体を動かすことが好きで活発な少年時代を過ごしました。
小学生から地元のサッカー少年団に入団し、毎日日が暮れるまで
友達と共にサッカーボールを蹴って遊んでいました。
中学生になってもサッカー部に入り、厳しい上下関係や
ハードな練習内容ながらも3年間楽しくサッカーを続けました。
ケガで思うようなプレーができない
高校入学後も、サッカー部に入部し全国大会出場をめざし
真剣にサッカーに取り組み厳しいレギュラー争いをする
気の抜けない練習をする毎日を送っていました。
高校生ぐらいになると、本気でスポーツに
取り組んでいるとケガや故障は当たり前になります。
私の所属していた高校のサッカー部の監督は
「ケガしても痛いって言うな」
「故障はやりながら治せ」
「骨折するまで休むな」
今じゃ考えられないようなスパルタ監督のもとで
サッカーを続けていました。
ケガをして休むと自分のポジションがなくなるので
仲間と共に無理をしながらも練習を続けました。
私もケガをしないように注意をしながら練習に励んでいましたが
真剣に練習していると、どうしてもケガをしてしまうんですよね。
私の場合は、足の捻挫を繰り返し、靴ひもが結べないほどに
足首が腫れ上がり、満足のいくプレーができずに思うように
体を動かせずに、ずいぶんもどかしい想いをしました。
初めてのハリ治療で効果を体感
練習は休むわけにもいかないので治療をしながら
だましだまし、練習をする日々を送っていました。
近所に評判の良いスポーツ障害専門の接骨院があり、
時間を見つけては治療に通っていたのですが
その接骨院ではじめてハリ治療を体験しました。
それまでに体験したことのないハリ治療は私にとって
恐怖でしかなかったことを覚えています。
まな板の鯉のようにされるがままにハリを打たれていきます。
治療を終えると、身体がだいぶ楽になり、次の日になると
足首の腫れも半分以下になり昨日まで靴もまともに履けなかったのが
今日にはジョギングぐらいはできるまでに回復しました。
治療の仕事に興味はあったけど…
ケガに悩まされながらもサッカーは高校卒業まで続けました。
目標にしていた全国大会の出場はならなかったものの、
最後までレギュラーメンバーのまま引退できたのは、
間違いなくこの時に受けていた治療のお陰です。
漠然とではありましたが「治療」という仕事に興味を
持ち始めた時期でもありました。
その後、学校を卒業し「治療」の仕事に興味はありましたが、
当時は本気で志すまでには至りませんでした。
とりあえず就職をして日々物足りなさを感じ、将来に
不安を抱きながらも社会人生活を送っていました。
祖父との会話が人生の転機に
私には、100歳まで生きた祖父がいました。
(100歳まで生きると総理大臣から賞状と銀杯が届くんですよ)
98歳まで自転車を乗り回し亡くなる1か月前まで、
趣味の畑仕事をこなす近所ではちょっと有名な
「スーパーおじいちゃん」だったのですが、
健康を維持するために定期的に治療院通いをしていました。
ある時、祖父との会話で
わたし「おじいちゃん、いつも元気だね」
祖父 「〇〇先生にお世話になっているからだよ」
なんてやりとりの中で、自分も高校時代に接骨院で
お世話になった経験を思い出したのです。
弱っているひとの力になり、必要とされて感謝をいただく。
治療家という仕事にしだいに魅かれていき、やがて自分も
治療家になり多くの人の助けになりたいと強く願うようになりました。
治療家になる決意
しかし、どうすれば治療家になれるのかも分からなかったので、
祖父の通っていた先生にお話を伺いにいったら
一生、治療家として生きていくなら
「まずは医療系の国家資格を取得しなさい」とのこと。
国家資格を取得するには、3年間、国の定める学校に通い
医学の基礎をみっちりと学び、国家試験に合格しなくてはいけません。
当時の私にとっては、また学校に通うことまったく未知のことを
一から学び始めることは高いハードルのようにも感じましたが
治療家となり、困っている多くの人の助けになるという決意のもと、
鍼灸マッサージの専門学校に入学することにしました。
仕事と勉強の両立に苦戦する日々
私は夜間部に通うことにしました。
日中は仕事、18時から学校へ行き、月曜から土曜まで
毎日3時間の講義をうけ、自宅へ戻ってからも学校で出された
課題や、テストの為の勉強をする毎日を送っていました。
実際の治療現場の雰囲気に慣れ、医療の知識を
高めておきたいという考えから仕事は、整形外科病院の
リハビリスタッフとして働きました。
それまで経験したことのない医療現場での仕事や学校に通い
医学を学ぶといった日々は、やりがいを感じつつも、
やはり過酷で過労から体調を崩し寝込んだこともありました。
しかし、日々将来に不安を感じていた頃とはちがい、
多くの人の助けになるという使命感をもって、
がむしゃらに突き進む毎日は苦しくも充実した日々でした。
修行、下積み時代を経て
そんな日々を過ごし、あっという間に3年間が過ぎ
学校を卒業し、無事に国家試験にも合格して晴れて
治療家としてスタートを切ることができました。
しかし、資格を取得したからといってすぐに満足の
いく治療などできるはずもありません。
学校を卒業してからも、鍼灸治療院での修行、整形外科や
病院での勤務、学校付属の治療院での研修、鍼灸や整体、
カイロプラクティックのセミナーや勉強会にも参加しました。
多くのことを学びながら経験を重ねていく中で、ようやく
自分の目指すかたちが定まり、独立、開業することを決意しました。
一人でも多くの患者さんの健康を願って
2015年現在で私が独立開業して10年が過ぎました。
その間、うまくいかないこともたくさんあったし、
悩んだ時期もありました。
まだまだ力不足で、自分の思うような良い結果がでない
こともあります。
しかし、もともと縁もゆかりもないこの地で10年間、
治療の仕事を続けてこれたのは、多くの方々とのご縁と、
助けてくださった方々のおかげで、感謝しつくせぬ想いです。
私が、最初に治療家を目指す時に抱いた
「治療をとおして、困っている多くの人々の力になりたい」
という想いは今でも変わることはありません。
これからも変わらぬ想いで地域の皆様の健康に貢献できるよう
勉強を怠らず常に誠心誠意、患者さまの治療にあたらせていただきます。
最後まで長文をお読みくださってどうもありがとうございました。